平成18年(ワ)第3088号
原 告   五十嵐靖容 外
被 告   国  外


意 見 陳 述 要 旨 


東京地方裁判所 民事第6部 御中

 

2007年2月20日

右原告ら訴訟代理人

弁護士  鶴見祐策


第1 本件第6次訴訟の意義と課題(代理人鶴見祐策の陳述)

  1. 本件は東京大気汚染公害訴訟の第6次提訴である。原告は、自動車排ガスによって呼吸器疾患に苦しむ患者である。原告患者は、日常的な気道閉塞の辛酸とその恐怖に苛まれ、平穏で安全な生活環境を奪われている。その被害は、本人のみならず、家族や職場など周辺にも及ばざるを得ない。発症すれば、完治は生涯望めない。
     とりわけ未認定患者は深刻である。重い医療費の負担に苦しみ、必要で適切な治療が受けられず、それが症状の増悪をもたらし、職までをも奪う。経済的な破綻が家庭の崩壊を招くことになる。
     この重大な被害は、都市に集中する自動車排ガスの大気汚染に起因していることは言うまでもない。それが今日の社会的な常識である。被告らは、これを公式には認めようとしない。その頑迷な姿勢は異常というほかない。
     最近の新聞の全面を使った自動車メーカーの広告(2007年2月10日紙面)がある。そこでは「わたしはずっと寂しかったと、妻が言った」「どこか空気のきれいなところへ遠出したいわ」というのである。これが宣伝文句である。都市空間の「空気の悪さ」は、かくも顕著である。東京では全国に比して依然大気の汚染度が際立っている。
     このため今日も公害患者はあとを絶たない。70年代に被告自動車メーカーが、こぞってディーゼル化を推し進めたツケが、顕在化し続けているのである。とりわけ文部科学省の調査でも学童や生徒の罹患が急角度で増加している。我々の未来に憂慮すべき事態を残している。
  2. 原告患者は、この裁判を通じて大気汚染と被害発症の責任の所在を明確にすることを求めている。被告らの謝罪と原告患者に対する被害の賠償である。そして全ての被害者に対する新たな救済制度の創設と確立,さらには抜本的な公害防止対策の実施を求めている。これは、原告のみならず、全被害者に共通する切実な要求である。これらの実現なしには本件の全面解決はあり得ない。原告らの命がけの闘いは全面解決なしに終わることがない。
     被告東京都は、いま本件の解決に向けて医療費助成の新たな救済制度の提案をしている。その内容には、救済対象病名など未だ看過しがたい問題点を残しているが、18歳以上の全てのぜん息患者にも医療費の全額補償を実現する点で,現状を大きく前進させるものとして評価することができる。
     それにしても被告国が未だに東京都の提案をうけいれようとせず、何らの財源負担もしようとしないのは理不尽の極みというほかない。このような国の姿勢は,マスコミからも「国は都の提案を受け入れよ」(2007年1月18日付毎日新聞)「国は医療費助成に踏み込め」(2007年2月4日付毎日新聞)と厳しく批判されているところである。被告国の態度は全面解決への道筋をはばむ最も有害な要因となりかねないものである。
     公害対策では、一部報道(2007年2月2日NHK)によれば、被告国が大気汚染の原因である粒子状物質の環境基準を34年ぶりに見直し、長らく懸案であったPM2.5以下の微粒子についても検討の対象とし、幹線道路の通行量の削減等の汚染対策にも着手する意向であることが伝えられている。もっとも被告国は、公式にはこれを認めていない。1977(昭和52)年末、トラック、バスの排ガス規制を検討していた中央公害対策審議会の規制値に対して日本自動車工業会(豊田英二会長)が反対の声明を行った。このことを皮切りに1978(昭和53)年にかけては、日産、トヨタなど11社に割り振って当時の自民党国民政治協会や民社党政和協会に多額の政治献金を行って政治的圧力をつよめ、ついに同年7月、二酸化窒素の環境基準の大幅緩和を実現させた裏面史が改めて想起されるのである。もっぱら財界に奉仕する国の政治が我が国の環境政策を存分に歪めてきた。そして先進諸外国とは比較にならない甚だしい立ち遅れの現状を招いてきたのである。この間に被害が増大している。その責任はまことに重大である。
     今般,国は最大限の努力を行って,本件の解決を目指したいとの姿勢を打ち出したが,これについても東京都知事は「一種の言い逃れ」(2007年2月3日付産経新聞、毎日新聞、東京新聞)と突き放している。
     確かにこれまでの公害発生責任をあいまいにしたまま,公害対策だけでお茶を濁そうとしているとすれば,国は「言い逃れ」との非難を甘受せねばならない。もしそれに終わるならば、「世論の集中砲火」(2007年1月18日付読売新聞)を浴びる事態に立ち至ることを免れないであろう。
  3. 被告自動車メーカーは、医療費救済制度に協力する姿勢では足並みをそろえたと伝えられている(2007年2月2日毎日新聞)。ちなみに環境基本法第37条は、公害等に係る支障防止の必要性その他の事情を勘案して必要適切な事業を公的事業主体が実施する場合においてその必要を生じさせた者に事業に要する費用を負担させる「原因者負担」の原則を定めている。この法意に照らしても東京都の提案に応ずるべきは当然と言わなければならない。もとより被告メーカーが医療費助成の財源に若干の拠出したことによって以前の所業が免罪されるいわれはない。
     ところで、各メーカーは、おしなべて自らの「社会的貢献」や「環境ビジョン」を謳いながら、その加害責任を認めることについて未だに頑なに拒み続ける態度を変えていないように見受けられる。しかし、これは明らかに条理に反する。
     第1次訴訟の判決でも、被告メーカーらは、遅くとも昭和48年頃には、我が国の経済活動の中心であり、膨大な数の自動車が集中し、集積する本件地域の幹線道路に自動車交通の更なる増大により大気汚染の発生の可能性が高くなり,その曝露により住民が呼吸器疾患に罹患するおそれがあることにつき予見可能であったと認定されている。さらに第2次から第5次訴訟の審理の過程では、被告自動車メーカーらが、公害発生を予見しながら、自らの企業利益を追求してディーゼル化をおしすすめ、大量の公害被害者を発生させた事実がいっそう明確にされているのである。
     社会的経済的構造から大都市地域の自動車の集中集積は容易に想定できる。そうだとすれば汚染被害が発生するような公害対策不足の車を集中集積の構造を前提にしながら大量に製造販売をした責任が問われて当然である。道路の走行が通常の使用である以上その責任を使用者に転化できない。
     被告自動車メーカーらは、今こそ自らの加害の厳然たる事実について正面から向き合う必要がある。そして原告ら患者の被害に対して正当で完全な償いを実行することを直ちに決断しなければならない。それこそが社会的責任をもち「社会の幅広い層との連携を図り」「環境との調和のある成長を目指す」企業がとるべき当然の道筋にほかならない。
  4. 1973(昭和48)年制定の公害健康被害補償法は、民事責任を踏まえて医療関係費だけでなく所得保障的な性格をもつ被害補償の画期的な救済立法であった。これが津地裁四日市支部1972(昭和47)年7月24日判決を受けたものであることは周知のとおりである。東京都の「ディーゼルNO作戦」も2000年1月31日の尼崎公害判決による「差止め判決」を契機としている。
     公害患者は、環境行政の無策と怠慢の犠牲者にほかならない。行政による救済の埒外に長くおかれてきた人たちである。その打開の道を裁判所に求めて提訴している。過去を振り返れば、公害裁判の一連の判決が、公害対策と被害者救済に大きく寄与してきた。このことは周知の歴史的事実である。
     裁判所が、この裁判の審理を通じて本件被害の責任の所在を明らかにし、被害者の救済と公害根絶のために,裁判所に期待される社会的、歴史的な役割りを、完璧に果たされることを切望してやまない。

以上

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