意見陳述要旨

平成19年2月20日


第2 原告河村聖樹(VI−5)

  1. 私は昭和26年に生まれたときから北区田端で生活し、3歳頃から小児ぜん息がありました。小学生のころから気管支拡張剤のメジヘラー・イソを使用していましたが、中学・高校と発作も普段の生活に支障がないほど少なくなっていました。
  2. 昭和44年に時計眼鏡店に就職してからは、バイクで通勤したり、外回りをしていました。上野・池袋の卸屋に行くため明治通りを走ったり、越谷の工場まで環状7号線を走たりしていました。就職したはじめのころは、ほとんど発作もでていませんでした。
  3. ところが、昭和47年ころからぜん息の大発作が増えてきました。気管支拡張剤を吸入しても効かず、益々呼吸が苦しく、咳が激しく出て、食べた物は胃液が出るまで吐き、目はギョロギョロ・頭はもうろうとなり、上半身全体で必死に呼吸していました。
     発作が治まるまで苦しさが延々と続き、死にたくなりました。身体を横にすることもできず、起座呼吸で疲れ果てウトウトし、発作が治まるまで我慢していました。苦しさのあまり、メジへラーを一晩で1本使ることがしばしばありました。
     当時、会社の勤務に精一杯で、時間もお金もなく、病院に行かずに薬局で気管支拡張剤を買って使っていました。
  4. 昭和51年に2級の公害認定を受けました。精神的・経済的に一安心しましたが、ぜん息が治ったわけではなく、大発作は続きます。何週間も入院することが何回もありました。それでも、仕事をがんばり続けました。
  5. 平成12年、49歳頃から大発作がますます頻繁にでるようになりました。
     夜、明け方、発作で息苦しく、気管支拡張剤を吸入しても、苦しく寝付けない。毎日のように発作があり、病院へ行きたいが、会社をしょっちゅう遅刻したり、休むわけにはいかないので、飲み薬と吸入をするが、苦しさは収まりません。
     仕方なく会社に行きますが、歩くと余計息苦しく会社に着くのに四苦八苦しました。ロレツが回らず会話が面倒になり、息苦しくても仕事にミスが無いように神経を余計使い、疲れました。頭がもうろうとして意識が一瞬なくなることや、セキ・タンが出にくいときなど苦しく失禁することが何回かありました。におい・音・会話等にも過敏となり、ノイローゼ状態にもなりました。勤務時間が終わるまで、息苦しさに耐え続けました。
     本当は、入院をしなければならないほどの病状でしたが、仕事を休むわけにはいかず、入院しないで我慢し耐えていました。
     しかし、そんな無理がいつまでも続くものではありませんでした。会社が終わってから病院へ駆け込み処置してもらい、帰宅が明け方になることもしばしばありました。そんな明くる日は疲労・睡眠不足・食欲不振で頭が優れず、何をするにしても気が入らず、それでも会社に行かなければならず、52歳の私の体力では限界でした。
  6. このような生活に耐えきれず、平成15年・52歳の時に休職し、その後入院もしました。しかし、全く良くなりませんでした。
     息苦しさに耐え、会社勤めを35年間がんばってきましたが、平成17年・54歳の時に退職を余儀なくされました。
  7. 息苦しくても、生きていかなければならず、肉体・精神・経済的に苦痛の毎日を送っています。昇給・昇進・年金・結婚などのチャンスを逃すなど、損害は計りしれません。大気汚染公害のため、生涯をだいなしにされました。
  8. 私は被告らに要求します。
     (1)責任を認め、謝罪すること。
     (2)損害賠償すること。
     (3)東京都における医療費救済制度を創設すること。
     (4)公害防止対策を実施すること。
     (5)継続的協議機関を設置すること。

 以上、早急なる全面解決をお願いします。

以上

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