意見陳述要旨

平成19年2月20日


第1 原告岩崎和子(VI−16)

 私は、昭和58年5月に板橋区蓮根の公団住宅から品川区八潮に引っ越してきました。その頃は、子どもたちはすでに独立し、夫と2人暮らしでした。引越してきた当時は、海は近いし、樹木は沢山植えてあるし、お日様は良く当たるし、本当に快適でした
 住み始めて、2〜3年経ったころ、加入していた生協の友達から、大気汚染濃度を調べるのを手伝ってと頼まれ、測定のカプセルを自宅のベランダに吊しました。結果の数値は品川区のなかでも悪い方でした。周囲の環境はとてもよいのにと、不思議に思っているうちに、私の喉が息をするたびにヒューヒューと鳴り始め、咳と痰が出て、息を吸うのが大変になってきました。最初は風邪かなと思っていましたが、風邪薬を飲んでも症状はよくなりませんでした。平成3年頃、血圧を診ていただいていた八潮の川村内科クリニックの川村敏先生に診察していただいたところ、気管支喘息と診断されました。そのときは、驚き信じられませんでした。わたしは、それまで大病を患ったことがなく、一寸高めの血圧のほかは、そこそこに健康だったからです。  
 その後私は、現在に至るまで、1ヶ月に2回定期的に気管支喘息の治療を受けています。夜中に発作が起こったときは、布団の上に座って前かがみになり、息苦しさに耐えながら教わった呼吸法に従ってやっと呼吸をしながら朝を待ちます。そして、川村先生の開院の時間を待ちかねてバスに乗って川村クリニックに行きます。バスを降りてから普段は2分位のなんでもない道のりがとても遠くに感じられ、這うように休み休み歩きます。倍も時間がかかります。タクシーに乗らないのは家計のため倹約するためです。先生は私の症状を診てすぐに点滴の対応をしてくれます。
 去年12月にも発作が起こり、点滴の処置をしていただいてようやく我が家にたどり着いてドアを開けて入ったとたん、咳で息が出来なくなり失禁してしまいました。情けなくて涙がどうにも止まりませんでした。
 今は2種類の気管支拡張剤の吸入を朝晩欠かせません。症状は落ちついてます。でも吸入を忘れたら大変です。てきめんに発作がおき、苦しまなければなりません。現在の私はこの吸入剤の副作用で匂いも味もわかりません。
 今、振り返ってみて、喘息の発作がひどかったときに入院しなかったのは、家計が苦しかったのと、それからほんとに親身になって診て下さる先生が近くにいらしたからかなとつくづく思います。
 夫がなくなって9年たちますが、僅かな遺族年金の中からの医療費負担はつらいです。節約して何とかやりくりしています。もう一つ私の辛いこと息子の家に自由に行くことができないことです。長男の自宅は渋谷区本町の山手通りから少し入ったところにあるのですが、山手通りの車の通行量がはんぱでありません。孫たちに会いたくて行くときは、薬をいっぱい持って覚悟をきめて行きますが、泊まっているあいだ中、夜中は咳と痰で悩まされ、うつぶせになってやっと寝ます。自由にいかれないのが悲しいです。
 八潮のはずれにある区の清掃事務所の施設見学にいきましたとき、施設の屋上に上がってみて驚きました。私の住んでいる八潮の団地が、湾岸道路などの高速道路に囲まれて鳥の巣のように見えました。毎日排気ガスに晒されて暮らしているのだと、つくづく感じました。
 国も自動車メーカーもこれまで大気汚染が進むのを傍観しここまで放置していたことは否めません。間違いのない事実です。裁判は10年以上も続き、私は第6次の原告です。苦しみながら亡くなった方が109人もいらっしゃると聞いています。原告の私たちはどんなにか苦しんだかわかりません。国やメーカーはこれ以上時間をかけることなく、直ちに謝罪し、損害賠償を行ってください。宜しくお願いします。

以上

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