大気汚染のぜん息は風邪のぜん息とは全然違う
2歳からぜん息になった母と子の人生・闘争
 小林太朗君は小学4年生。未認定のぜん息患者です。ひどいぜん息発作がでる恐れがあるので、登校するカバンにはいつも携帯の気管支拡張剤 吸入器(写真右)を入れている。家にいる時、発作が起きると家庭用吸入器(写真左)を口にする。お母さん(日登美さん)は認定のぜん息患者。明るい母と子だが、ぜん息が起きると生き地獄だという。医療負担もすさまじい。
 日登美さんは「石原都知事はディーゼル規制で空気がきれいになったと、いばっているが、空気を悪くした責任は東京都にもある。いばることはない。被害者救済をしないで、何をいばっているのか。人間救済をしていない」と憤る。自分が味わってきた苦痛、くやしい思いを子どもにさせたくない。必死に子育てする日登美さんの過去と現在は、ぜん息と生きていく壮絶なたたかいだ。
 ぜん息で亡くなった子どもや大人の話を身近に聞く太朗君は「お母さん死んじゃいやだ。僕も死にたくない」と言って、母にしがみつく。発作のこわさを知っているから 吸入器が手放せない。

足立区内を4回引っ越しした小林さん。現在の場所は比較的環境が良いという。しかし、住まいから100メートルほどに隅田川沿いの首都高速(写真右)が走り、すれすれに住宅・店舗が建ち並ぶ。足立区はぜん息患者が都内のなかでも多い。

証言(小林日登美さん:東京・足立区)
 わたしはがぜん息を発病したのは2歳半の時、昭和35年11月でした。親から聞いた話では「この子、死ぬ」と医者に言われた。わたしの面倒をみた母は、生き地獄だったと言ったが、わたしも生き地獄だった。ぜん息で三日三晩、眠れなかった。それがどんなにひどい状態か、その場に立ち会った人でないと分からない。本当に自分はこのまま死んじゃうのかなあと思うほど。点滴もよく受けた。当時は畳針みたいな太い針で動いちゃいけないって言われて、じっとしていた。病院通いで薬ずけ、静脈注射、時間をかけてするので疲れるんですが、これやると良くなると思っていたから苦痛ではなかった。

 小学校に上がる前にもひどい発作を起こして、心臓が止まったそうだったそうでした。一命をとりとめましたが、薬と注射、点滴をよく受けていた記憶があります。
 ぜん息で入退院を繰り返していたので私は満足に学校に行っていないのです。
 年がくると学年があがるじゃないですか。すると先生が家にきて「進級しますかもう一回やりますか」と聞きいてきた。親は「あげちゃってください」と言うしかないので、学年はあがったが、当然ですよね。みんなについていけない。だけど4年生の時だった。毎日学校に行っている子が算数の四捨五入ができない。でもわたしは出来た。なんでこの子らは出来ないんだろうって、不思議だった。学校にはほとんど行っていない自分だったが、がんばらないとついていけない気持ちがあったので、勉強は家でしていた。

 友達ですか。保育園の時はあったが小学校に上がるとその子らも遠ざかった。「きたない」とよく言われたね。そりゃそうですよ。セキをするだけじゃなく、痰や鼻汁がズルズルでしょ。
 学年は覚えていませんが、体育の時間、先生が「もう一回り走れ」と私に言った。私はこれ以上走ると発作が出ると言ったが、先生は「走れ」と言った。走ったらやっぱり発作が起きた。そのとき、学校は救急車を呼ぶんじゃなくって、親を呼んだんです。親は「死んだらどうするんだ」とかんかんに怒っていました。その頃、ぜん息に対する理解とか認識が学校にもなかったんです。
 移動教室にも修学旅行にも連れて行ってもらったことがありません。小学校、中学校を出ているのに、卒業アルバムをもらっていないんです。

 中学を出て、洋裁の学校に行こうとしたらお医者さんから、「布くずが良くないんじゃないか」と言われて、あきらめました。
 何をしていたかって? アルバイト人生です。相手にぜん息だということは言う必要もないので言わないでアルバイトをした。やっていると発作がでる。入院することになるので、そのアルバイトをやめて、また違うところを探す。その繰り返しですよ。
 ずっと親の元で生活をしていたんですが、いつまでもこんなことをしていてはいけないと思って、28歳の時、家を出ました。私は認定患者だったのでいくらかの収入があったので、そのお金と、アルバイト収入で自立しようとしました。毎日の生活は午前中、病院にかよって点滴を受け、午後から夕方にアルバイトをする生活でした。

 大人になってからのぜん息と私のように小さい時からぜん息をやっている者とは体力がちがう。基礎的な体力ができていないので、東京大気の行動に2日間も続けて出たら3日目は寝込んじゃうです。それだけ体力がないということだと思います。
 さっきも疲れていたので寝ていたんですよ。

 最近では7月31日(カレンダーを見て、そこに救急車の文字)、救急車を呼んで病院に行きました。メニエールが起こることがあるんです。めまいなんってものじゃなく、天井がぐるぐる回って、とても歩けない。はって電話で救急車を呼びました。点滴をやって帰ることがでたが、多分、これも長年の薬の副作用じゃないかと思う。

 発作が起きると、死ぬと思ったことが何回もある。ぜん息は死ぬ病気だと、最近は分かってきましたが、少し前までぜん息は風邪のひどいものと言われていた。でもぜん息って、本当に死ぬんです。何人も死んでいます。(この時、そばで話を聞いていた太郎君が「僕死にたくない」と言う。「死なないよ、ちゃんと薬を飲んでいたら大丈夫だから、薬は飲まないといけないのよ。分かった」とお母さん。)

 話が太朗君になる。この子は薬を飲むのは嫌だという。(太朗君がすかさず「僕、薬のむの嫌なんだ。嫌だ」)という。今は少し落ち着いているから、落ち着くと、飲みたくないというの。でも、 アルプス子供会キャンプから帰ってきた時だったね「 太朗!」と、太朗君に念を押す。うなずく太朗君。
 帰ってきたのにこの子の姿が部屋にないのよ。どうしたのかなあと、さてはとトイレをのぞいたら、気管支拡張剤の薬を調合して吸入器をさわっていた。「みろ、薬を飲まないから、そんなことになるんだ」と言われること知っているから、親に見つからないように、そうするんですよ。
 薬は処方箋通り、きちんと飲んでいると発作は起きないので、きちんと飲んでいる。でも安心できない。薬をもらっていても、起こるときは起こるから。

 この子がここ(現在地)に来る前に通っていた学校は首都高速道路のインター近くにあって、やはりぜん息の子が多くいた。その小学校で子どもが死んでいる。私は聞いた話だけど、ぜん息の子が家で一人いて、苦しいから帰ってきてとお母さんの職場に電話があって、帰ったら、死んでいたという。そんなことがあってすぐ、学校から呼び出しがあった。わたしは、この子がまた何かしでかしたのかと思って学校に行ったら「ぜん息はどうですか」と聞かれた。死んだので学校も神経質になっていた。

 風邪なんかを引いている時は、ぜん息発作がでることが多いので、そんな時は、この 吸入器に薬を入れて学校に持っていかせる。学校の移動教室に行くときは先生に発作が起きたときは、「薬を0・2?入れてくださいって」お願いして先生にやってもらう。
 キャンプもぜん息の子も受け入れてくれる体制を医療機関とのネットワークで整えたキャンプ場ができるようになってきたので、そのキャンプ場には安心して行ける。しかし、その体制や配慮がないキャンプ場がほとんどだから学校行事に参加できないことが今もある。わたしの子どもの頃はまったく行けなかった。だから今は、ずいぶんよくなってきたと思う。

 吸入器もいろいろあって、横になっても大丈夫なものと、座ってやらないと垂れちゃうものがある。家で発作がおきたときは、横になって使うんだけど、この子にとっておしゃぶりの感じかな。そのまま眠っちゃう。本当にひどかったら、寝てられない。
 わたしはお産がものすごかった。棺桶に片足ですよ。最初の子は産むことができなかった。この子が生まれるときは、何がおきるか分からないので医者も大変だった。麻酔が一番こわいとかで内科・小児科などの先生が体制を取ってお産でした。生まれて「これは良かった」と喜んでくれた。うれしかった。

 夫が夜勤でいない時が一番不安でこわい。発作を起こしたことを考えちゃうの。この子が小さい時、ドアのチェンをかけないで寝るんです。もし私が発作を起こして息を引きとっても、子どもがギャギャと泣くと、誰かが気づいてくれるでしょ。そうしたらこの子は助けることができるじゃないですか。

 薬は外に出るときは、3日分とか4日分とか持って出るんです。「ずいぶん沢山な薬を持ち歩いているね」って言う人がある。でも何があるか分からないじゃないですか。そのとき、薬がなかったら大変なことになるので、バッグにはいつも沢山入れているわけですよ。

 医療費がかかる。この子は未認定(都の条例認定で18歳まで医療費無料)。わたしは認定だけど最近、これまで無料だった薬が 太朗のもわたしのも段々取られるようになってきた。風邪薬も取られる。ぜん息によって抵抗力がなくなっていろんな病気になる。薬の副作用で糖尿をやられる人もいるがそれには全部自己負担。副作用でいろいろ具合が悪くなる、胃もそう。ところが胃の薬は対象にならない。自己負担ですよ。この酸素吸入器は5万円もするんですが、自分で払わないといけない。その医療費負担は大変ですよ。

 ぜん息は治る病気じゃない。発作を抑えているだけ。発作の程度を和らげる治療がずいぶんすすんできたと思うが一回、治っても、また発症する。
 風邪によって引き起こすぜん息は風邪が治ったらぜん息も治まる。でも大気汚染のデイーゼル排ガスが原因のぜん息は全然違う。治らない。一生、ぜん息とつきあうことになるんです。その違いはみなさんに分かって欲しいです。

 わたしの場合、やはり大気汚染が原因だと思う。その中でディーゼル自動車排ガスが元凶、悪玉です。保育園に行っていたとき、道ばたにトラックがアイドリングしていた。もくもくと黒煙を出して。そのそばを通らないと保育園に行けないのよ。わたし、アウシュビッツのガス室を連想してしまって、この子を抱きしめた。排ガスが入らないようにして通った。排ガスの位置がちようどこの子の鼻の位置だったんです。
 いまでも大きなトラックのそばは通りたくない。

 裁判の第一次判決、あ然とした。勝利とは出ているが完全勝利じゃない。どういう意味、これ何って思わず聞いた。いま喜び半分というとこです。
 東京都だけど、東京都は第三者じゃない。当事者だから責任を取らないといけない。石原知事はペットボトルを振り回して「悪い」と自分でも言っている。だったらなぜ、そのディーゼル排ガスでぜん息になって苦しんでいる人間を救わないの。排ガス濃度が改善したと自慢しているが、人間を救っていない。人間を救うのが先決じゃないか。わたしがこんなことになったのも原因があるからでしょ。原因を作ったものが責任をとるのは当たり前です。(聞き取り:2004.8.21)

〒112-0002東京都文京区小石川5-33-7
マツモトビル2階
tel 03-5802-2366 /fax 03-5802-2377