現実をみない判決です、あれは。
第一次判決を痛烈批判・小澤廣子さん
小澤廣子さん(写真)は第一次原告。02年10月29日の第一次訴訟判決で裁判官は小澤さんを損害賠償対象から外した。その判決について小澤さんは、「7人だけは見た」(損害賠償を認めた)が私を含む9割の訴えを見なかった。「私は、裁判官の一般常識はどこにいったかと思う」と判決を批判する。ぜん息による入退院で会社をやめざるを得なくなり、病院を転々とした青春期。ぜん息で病院に入院してきた小学生の子の将来を案じ、三菱自動車問題では現場の技術者が可哀想だと言う。東京大気汚染公害裁判原告団事務所でインタビュー。(2004.8.12)

小澤廣子さんが
ぜん息被害を受けた環境

千代田区飯田橋付近は毎日ひどい渋滞。自動車排ガスにおおわれ、目がカチカチ。そんな環境の中で通勤・勤務。32歳の時、ひどい発作に襲われる。

小澤さんのバッグに薬が欠かせない
小澤さん・新宿区在住

小澤さんがぜん息被害にあった環境は
 私が勤めていたのは千代田区九段のグランドパレス近くの企画・制作会社。住んでいたのは新宿区神楽坂でした。通勤で通っていた飯田橋は毎日、ひどい渋滞でした。目がチカチカするの。それで友達と「これがかの有名な光化学スモッグかねえ」と話し合っていた。昭和50年ぐらいだった。私の会社は通りから少し入ったところだったんだけど、通りがすごい渋滞だから、みんな抜け道に使って途切れることなく車が入り込んで きていた。

ぜん息の状況は
 だんだんひどくなったのは46年か47年の9月、32歳の時。半年前からセキがとまらなくなった。咳が出て、痰もでたと思うが風邪だと思って、それにしてもしつこい風邪だなあと。今年の病気はのどがやられるんだよと、みんなに言っていた。
 医者に通っていても、ぜん息といわない。個人の医者にかかっていたんだけど、本当に腕が堅くなるほど注射を打たれた。でも、咳はとまらなかった。が、医者を信じて通っていた。
 しかし、朝晩、咳が30分から40分続いてスーパーの買い物袋にセキとタンでテッシュが一杯になった。それが毎晩、毎朝だったんでこれは風邪じゃないんじゃないか。違う病気じゃないんじゃないかと自分でも思ってこれはおかしいなあと思ったのは11月。
 咳がゴホンゴホンという咳からキーンという声に変わって、痰もでない、鼻もでない。乾いた咳。いくら咳をしてもこれまで出ていた痰が出ない。詰まる感じになってくるのね。
息が本当にできないのね。どうにもならなくなってかかりつけの医者を離れて、自宅近くの厚生年金病院に行った。

病名は
 そこで初めてぜん息性気管支炎と言われて、ステロイドが出たんです。
 でも12月、本当にくるしくって、一晩でメプチン(気管支拡張剤スプレ)一本使うくらい使いました。でも会社に行った。ところが会社の勤務は午後6時30分なんですが、あと30分の我慢 ができなくって、6時に帰りました。うちに帰るのに、ものすごい時間がかかって、なんとかかんとか帰って厚生年金病院に入院した。それが入退院するしょっぱなです。
 病院で大発作が起きた。症状としてはひどくなる。トイレに行きたくても苦しくってしゃがみこんで歩けない。でも、トイレに行きたいんですよ。でも歩けない。夜だから誰もいない。とにかくトイレに行きたいから、手すりにつかまって、とにかくトイレに行った。でも苦しくって仰向けに寝られない。横向きになれないんです。だからベッドによりかかって枕を抱えて、発作が治まるのをまっていた。

えっ、そんなにひどいことになるんですか
 死ぬ思いです。

ぜん息と知って、思ったことは
 ぜん息は治るものと思っていたから、発作が治まればそれでおしまい。盲腸と同じような感じでみていた。普通、病気だったら治るでしょ。ガンだって、切ったはったで治るじゃないですか。今苦しくっても、治るだろう。なかなか治らないのは私も歳とったからかなあって思った。まだ30歳になったばかりですよ。入院した時、看護婦さんが「幾つですか」ときいたので「23歳です」って答えたら、看護婦さんは何の疑いもなく23歳って書いた。だからわたしは、「ごめんなさい。32歳」と言った。そんな感じ で、はつらつとした青春をしていた。その自分がいつまでもぐすぐす尾を引く病気になるなんって、夢にも思わなかった。
 ところがその病院で発作を繰り返した。同じようなことが2回も3回も起きるのはおかしいよと、いわれた。何がおかしいのか、私に何が起きているんだろうと思って聞いた。
 エレベーターでたまたま出会ったお医者さんから「また出るからね。出たらまたおいで」といわれた。そのとき、「えっ、治らないの」と思った。まわりの人からも「たびたび起こるんだよ」といわれて、えっ、うそだろうって感じだったんです。
 40日、入院して2月のはじめにそこを退院したんですがすぐ具合が悪くなった。ところが厚生年金病院はすぐには入れない(入院できない)んです。それで別の病院に行った。
 ぜん息の治療が上手だと聞いた病院に行ったが、治療は厚生年金病院と変わらなかった。ステロイドを打って、静かにしていて、点滴を打つ治療だった。そこは2週間入っていた。退院して1週間するとまた発作が起きてまた入院。

仕事の方はどうなりました
 仕事の方は休職扱い。健康保険がないと莫大な治療費になるので籍は置いてくれた。そのうち休みが多くなったので、後任が入ってきた。そうなると居づらくなってそこを辞めることになった。失業保険をもらって、短期のアルバイトとか、パートをしながら、蓄えを食いつぶした。
 仕事ではつらいことがいっぱいあった。小さい会社に勤めた。その会社は鉄砲階段(踊り場がない階段をいう)の3階にあって、あがるのが死ぬような思い。がんばって働いたがハガキがきて首。それはないだろうと思ったが、発作で休む事務員は「いらない」ということだ。
 その後、以前の会社と取り引きがあった製版屋さんが独立することになって、人を探しているいるということで、紹介で働くことになった。入る時に、病気持ちで年に2、3回入院することがある。それでもいいならと事情を話して働くことに。8月に入って、11月にひどい発作を起こした。発作を見て社長は「話には聞いていたがこれほどひどいとは」と驚いていた。その会社には54年から平成11年、倒産するまで働いた。理解があったから働けた。

今、現在はどうですか。治ってきているんですか
 いまも、薬を持って歩いている。エロゾルってスプレー薬、気管支拡張剤。この薬で病気が治るわけじゃない。楽にするだけ。

原告団や裁判はどこで知りました
 民医連の鬼子母神病院(豊島区・現在は診療所)を教えてもらった。ここは夜間診療があったから、仕事が終わってから行けた。ここで鈴木好枝さんという患者会をしている人に出会って知った。公害健康補償法(公健法)のことはサークル活動で知り合った区役所の友達から教えられて、慶応病院にかかっているときに手続きをとった。認定を受けるまで時間がかかり、認定は鬼子母神病院だった。

苦労したこと、くやしかったことは
 苦労やくやしい思いは今になると過ぎてしまったことで恩讐のかなただけど、ただ、普通の生活をしたかった。大発作をしたのは32歳でしょ。やっぱり、ごくごく普通に相手を見つけて結婚していたら、子どもはいま30歳ですよ。ちょっともったいない、つまんない人生になった。人生そのものが変わってしまったと思う。

車は絶対必要なもの?
 車の排ガスでこんなことになってしまったんだけど、私は車は決して悪いとは思わない。だって、救急車は必要だし、消防車も必要。急ぐ時はタクシーも必要でしょ。手足の不自由な人たちにとって 車は絶対必要なもの。必要だからこそ、安全でなくてはいけないと思う。
 カドミウム米もそうでしょ。みんな知らず知らずに採って、食べていた。お魚もそう、絶対必要でしょ。だから絶対必要なものは安全でなければ絶対いけないんです。
 だからこそ、安全はちゃんとしてほしい。今、三菱自動車がむちゃむちゃいろんなことが出てきているが、あれだって、現場技術者の人はくやしい思いをしていると思う。自分たちは問題があると知っていても上層部がもうけ本位に走ったから結果がああなった。だから、技術者は本当にくやしいと思う。
 わたしは4人兄弟で、1人はガンで死んだんですが、3人は交通事故に遭っている。事故そのものは運転手の不注意なんですが、事故で姉と弟は障害者になって、私は歩けるようになったんだけど、体の自由を奪い、時間の自由を奪い、私は姉の面倒を絶対みなければいけない。
 自動車排気ガスもそういう問題が起こる。

ぜん息被害について
 わたしが入院しているとき、小学生が入院してきた。ああ、この子たちの将来どうなるんだろうと思うと、かわいそうだなあと思うし、お母さんが大変だった。 育てているのはその子だけじゃないからギリギリになって飛び込んでくる。
 それから子どもの勉強もするんです。入院しているからって、みんなより遅れさせるわけにいかない。それでなくっても、しょっちゅう入院しているとどんどんおくれちゃうわけです。それを見ていると親も切ない。あの親子、どうしているだろうなあと思います。
 高校は行ったが、出席日数が足らなくって、ギリギリ卒業できたとか。でも仕事は無理だとか結婚は無理だの話を聞くと、切ない。
 とにかくこのぜん息というのは爆弾を抱えているようなもので、いつ起きるかわからない。将来を考えるとイライラしてくる。
 特に、女は大変。ステロイドの副作用がいろいろ言われている。生まれてくる子のことを考えるとステロイドを使わないようにする。他の薬に換えてもらって、それで発作を抑えることができたらいいが、抑えられない時、死に直面する発作になる。だから私は40歳前の人には、どうなるかも分からないから、お医者さんによく相談した方がいいよと話している。50歳にもなったら、そういうこともないと思うからステロイドを上手に使って、使いすぎは絶対によくないんだけれども、上手に使って、苦しいじゃなくって、大丈夫な状態を作ったほうがいいよとすすめている。

第1次判決について
 わたしはあの裁判官は八方美人と感じた。たとえば、自動車メーカーにも結構言っている。でも、「でも」とか「しかし」と言って、結論として自動車メーカーに責任はないという。
 じゃ、パンを盗むのは悪い。でも「悪い」と誰も教えなかったらパンを盗んだ。よって罪にならないということと同じ。
 大人としての自覚、物をつくる者の責任や常識、そういうものはいっさいいらないと言っているように思う。
 だって、そうでしょ。排気ガスを出せばどうなるかというのは分かっているでしょ。昔の都市ガスは死ぬことができた。だから都市ガスで自殺する人がいた。しかし今の都市ガスは死ねない。だが自動車排ガスを車にひっぱり込めば死ねることを知っているからそれで死んでいる。自動車排ガスが悪いということは、これは社会常識。現に東京を離れてきれいな空気のもとで発作は起こらなかったが東京に戻ったら発作に襲われることやいろいろな調査から排ガスが悪いということは社会常識。
 裁判ではそんなことはわからなくてもいいというのがあの裁判官の常識のようだけど。じゃ、なんのための裁判なの。あんた一般社会に生きているのと、ちょっと聞いてみたい。
 現実をみない判決ですあれは。被害を受けた人は救われていない。もし、裁判官に会って言うことができるなら「あんた老後、安泰でしょ。どこにいくんですか」と聞きたい。

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